こんにちは、ソーシャル税理士の金子(@innovator_nao)です。
センター試験を受験したのは10年以上前の話ですが、受験した時のことをよーく覚えています。
私は商業高校だったので、
学校の先生は誰もセンター試験の願書の取り寄せ方を知らなかったり
2学期の終業式で校長先生が「3年生も1人を除いて全員が無事に進路が決まり」とスピーチしたり
他の受験生に比べたら何とも言えないハンデ感を背負っての受験生生活だったと思います。
そんな中で私が学んだことを思い返しながら書いて行きたいと思います。
失敗しても立て直せば良い
意気込んでセンター試験に挑んだものの、センター試験自体は満足のいく結果は出せませんでした。
ただ、第一志望は私立の立命館。
国公立は眼中から消してしまい、立命館の入試で結果を出せば良い訳です。
なので、私はセンター試験が終わった次の日からは気持ちを切り替えていました。
私大なので科目を絞って勉強できるので、英語と現代文をとにかく伸ばすために徹底的にやり込みました。
むしろ、一科目に集中できる時間が増えたぞ!とポジティブに捉えながら。
ここでセンターの結果に引っ張られて気持ちが切れていたら結果は全然違ったことでしょう。
過去の結果は変わりませんが、立て直して次を目指すことの大切さを学んだ気がします。
「問題が解ける」ではなく「理解すること」を意識する
当初から英語逃げ切りの作戦を立てていたのもあり、英語に使う時間が圧倒的に多かったと思います。
私の勉強法は受験テクニックには過度に頼らず、きちんと理解することに重点を置いていました。
・河合塾で授業を受けてノートを取る
・家で問題を解く
というところはほぼ全員やるんでしょうが、私には
・自分が先生になったつもりで問題の解説をする
という謎の儀式を行なっていました。
一人部屋から
「このthatは名詞節を作っていて、ここまでがSで、Vは・・・」
などと呪文のような言葉が漏れていたことでしょう。。。
ただ、「人にスラスラ説明できなきゃ本当に理解できていない!」と思っていたので、ここには力を入れていましたね。
問題が解けたからOKではなく、きちんと理解できているかまで深掘りすること。
これはその後の税理士試験でも大いに役に立ちましたし、仕事をする上でも大切なことだと思っています。
徹底的にやること
私が通っていたのは商業高校だったので、授業の半分以上は大学入試とは関係ないですし、一般教科でもそもそも受験を想定していないので全く役に立ちません。
これは2年生の頃から分かりきっていたので、3年生の時にある作戦を立てます。
1学期と2学期の中間テストまでは、商業科目と受験で使わない数学で高得点を取る
いやいや、受験には全く意味ないでしょ、と思うかもしれませんが、続きがあります。
2学期の期末テスト以降は学校の勉強を一切しない
というもの。
成績で「1」が付いてしまうと補習などで無駄な時間が取られてしまうので、それは何としても避けなくてはいけません。
学期は中間と期末を総合して成績を付けるので、中間で高得点出してるのに「1」は付けれんだろ、と。
結果的には「2」で乗り切った科目がいくつかありましたが、落第&補習という最悪のパターンは免れました。
そしてもう一つ。
3学期の始業式の日に私は学校に電話をしました。
「勉強するので当分休みます」
と。
そこから入試までのは家と図書館と河合塾のトライアングルの日々でした。
もはや荒技ですが、背に腹は変えられません。
人様に迷惑をかけるようなことは考えものですが、自分の中での優先順位を決めて、必要のないものを大胆に切り捨てる勇気は大切だと思います。
そして、絞った領域に対して最大限のパワーを投下します。
これは、受験勉強以外にも言えることですし、その後の自分にも良い意味で影響しています。
まとめ
今思えば、「よくこんなに頑張ったな」とも思いますが、その時の経験がその後の税理士試験や修士論文の作成、そして仕事への取り組み方などにも影響していると思います。
高校まではまともに勉強したことがなかったので、大学入試が「初めて努力して結果を出す」という体験でした。
高校では実家を離れていたので、親に過度に干渉されることなく、徹底的に自分と受験勉強に向き合えたことも大きかったと思います。
また、身近に受験生がいなかったので、友達と成績を比べて一喜一憂ということもなく、長期的な視点で取り組めたことも良かったのかな、と。(もちろん、模試の結果は気にしていましたが)
親にとっても子にとっても一大イベントですが、中途半端にせず徹底的にやりきることでその後の人生にもプラスの影響を与えられると思います。
結果が全てではなく、プロセスから学ぶこともありますから。
でも、それは本気で結果を求めに行ったプロセスからしか見えて来ないんですけどね。
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